失くし物
セレソンとしての役目を全うするという決意も虚しく、警察に捕まってしまった篁 カオル─── No.07を与えられた男は、看守の言葉に眉を顰めた。
「急げ、面会人だ」
牢の鍵を開けて見慣れた看守がもう一度、言った。
面会人? と益々訝しげになりながらも、篁は看守に従い、大人しく牢屋を出た。
学校とも病院とも違う、味気なくも廃れた風のある廊下を歩いて、面会室へ向かう。
歩きながら、彼は面会人とやらについて考えた。
家族ではないだろう。だが、だとしたら他には誰が?
詐欺師を生業としていた彼が思い付くのは、同業者の名前が多かった。
しかしながら、わざわざ彼等が危険を冒してまで自分に面会しに来る理由はない。
仮に、まだいい金蔓だと思われていたのだとしても、時期が遅すぎる。
彼が逮捕されてから、もう半年以上は経過していた。
誰なんだ?
疑問は解けないまま、面会室へ到着した。
面会担当者らしき男が幾つかの注意事項を口にする。
篁はただ黙ってそれを聞き、いつものように礼儀正しい返事をした。
こういう所では、悪態をつくよりも従順にしていた方が何かと利益が多い。
職業柄、演じていることすら忘れてしまう。
素の自分ではないが、違和感はない。
面会室の中には、更にもう一枚、扉があった。
その向こうに、透明な壁越しに面会人と会話をするらしい。ドラマでよく見るアレだ。
勿論、あの扉の向こうには誰かが立っているのだろう。
面会時間は十分。分かりました、と頷いて、篁はその扉をくぐった。
「やあ。どうも」
「…! 君は…」
透明な硝子の向こう、いつか一度だけ見た顔が朗らかに笑う。
驚愕しながら椅子に腰掛けると、彼はひらひらと手を振った。
「初めまして。あんたがNo.07?」
「……?」
窺うような視線を向けてくる彼に、違和感。
何を言っているのだろう、一度会っているではないか、ワシントンへ旅立つ直前の空港で。
そこまで思い出して、篁はハッとした。
「…、そうか……。君は、記憶を消したんだな」
「…。もしかして、俺に会ったことある?」
「ああ。一度だけ」
「あちゃぁー、そっか。悪いな。せっかく会ったのに忘れちゃってさ」
「いや、構わないさ」
ふ、と篁は笑った。まるで旧友に会ったかのように語りかけている自分がおかしかった。
彼は肩を竦めて困ったように苦笑いをひとつ。
気に病むことでもあるまいに、と篁は腕を組む。
「それで、どうして僕の所に?」
訊きたいことはいろいろあった。
だが、担当者の目もあるので質問も限られてくる。
興味本位で訊ねたいことは多々あったが、篁はそれを制した。
こんな所に居ても、一応は世間との繋がりはあるわけで、日本を騒がせたテロリストの名前くらいは篁も知っている。
ノブレス携帯も普通の携帯電話も持っていないので、流石に夏のある朝に日本中の携帯に送られた『テロ予告』を目にすることはできなかったが、あの騒ぎは把握している。
故に、まず『どうやって此処に?』と質問してみたかったものの、何とかそれは飲み込む。
犯罪者への面会には、当然、どういった関係なのか、或いは用件くらいは問われる筈だ。少なくとも身分証は必須だろう。
テロリストだと宣言した目の前の男─── No.09こと滝沢 朗は、一体どうやってこの場を設けたのだろうか?
「セレソンとして、どういうことしてたのか気になってさ」
「活動履歴を読めば済むだろう?」
「んー、ゲームが終わって電源入らなくなったっぽいんだよね、たぶん」
「…ゲームが、終わった?」
うん、とあっさり頷く彼に、勝者を訊ねるべきだったのかもしれないが、そんな言葉は出てこなかった。
彼から視線を逸らし、篁は目を伏せる。苦悩するように唇を噛み、ただ、無言で考える。ジュイスのことを。
No.07に与えられた、あの純粋無垢な、自分には不釣合いなほどよく出来たパートナーのことを。
もう嘘をつかない、セレソンとして、できることをしていく。
そう誓ったばかりなのに、自分のせいでジュイスとは離れ離れになってしまった。
相手は人工知能だと理解しているのに、彼女とのやり取りを思い出すと、どうしても罪悪感が胸を突く。
詐欺師の分際でなにを、と思う反面、もう一度やり直したいという気持ちこそが本心だと分かっていた。
「…どうかした?」
「僕は…、たぶんMr.OUTSIDEが期待するような働きをしていなかった…いいや、してこなかったと思う」
「……」
独白を、彼はただ黙って聴いていた。
目を細めて、なにかを見定めるように。
「僕は恐らく、七番としては碌な機能をしていなかった。だけど、君に会って少し考えが変わってね。
……七番として、“彼女”と成し遂げたいことがあった。だけどしくじって、僕はこんな所に居る」
自嘲気味に零して、篁は顔を上げた。
自分が思っていたよりも、あの別れを後悔しているのだと、口に出してみて気が付いた。
なんてことだろう。自分はジュイスのことを、とても気に入っていたのだ。
そう、真っ直ぐな道を歩いて、この国を善くしてみよう、なんて思う程には。
ジュイスとなら、焼け石に水かもしれなくても、少しだけ何かを変えられるのではないかと信じていたのだ。
だけど。それはもう、叶わない。
ノブレス携帯の行方は分からないし、あの高性能な携帯に不審を覚えた切れ者がいたとしたら、もう篁の手には及ばないどこかにある筈だ。
セレソンというグループのことも、政界では既知の名称となっている。実態を把握している者は数える程だろうが。
正直に本心を明かした彼の言葉に、彼は少し間を置いてから、ポケットの中からある物を取り出した。
「…、どうして」
「ちょっとね。実は俺、これを返しに来たんだ」
そう言って、彼は爽やかに笑った。
差し出したのは、篁がかつて持っていたもの─── No.07の証である、ノブレス携帯だった。
「電源は入らないと思うけどさ…。たぶん、あんたが持ってた方がいいと思って」
「…」
「今の話聴いて、益々そう思ったよ。俺がやろうとしてることも、そんなに間違ってる訳じゃなさそうだしね…」
後半の言葉の意味は篁には理解できなかったが、彼はそれで用事は済んだとでも言うように、ノブレス携帯を置いたまま立ち上がった。
「おっさん、これ、篁に返してやってよ。もう電源も入らない、お守りみたいなもんだからさ」
面会担当者にそう言って、彼は笑う。
断りにくい、明るい笑顔だった。
たじろぐ面会担当者が迷っている隙に、彼はくるりと踵を返し、あっさりと面会室を出て行ってしまった。
すっかり見慣れた牢屋に戻った篁は、質素なベッドの上でぼんやりとノブレス携帯を眺めた。
彼が出て行った後、面会担当者は困った顔で置き土産を処分をしようとしていたが、篁が少しばかり話をすると、『ちょっと待っていろ』と言って何処かへ消えてしまった。
因みに、篁が話した内容はこうだ。
『もう会えない“彼女”との、唯一の繋がりなんです』
彼と篁の会話を聞いていた面会担当者は、ひどく弱りきった顔で暫く苦慮していたが、どうやら情に訴えることには成功したようで、こうして篁の手の中にノブレス形態があるわけだった。
嘘は言っていない。事実を伝えているわけでもないが。
このような話術は詐欺師のスキルとしては必須だ。初歩もいいところ、という内容だったが、今回はそれだけで上手くいったようだ。
(ほんと、情に厚いな。そんなんでいいのか? こういう所を仕切る人間が。…いや、どうなんだろう?)
電源の入らないノブレス携帯を弄りながら、篁は冷たい壁に体重を預ける。
(だけど、それは逆にまだこの国の救いようがあるってことか…)
ぱたん。ノブレス携帯を閉じると、彼はそっと、表面をなぞった。
「感謝するよ、No.09」
少なくとも今は、“彼女”には会うことはできない。
いいや、もう会えないままなのかもしれない。
それでも、失ってしまったと思っていたものが手の中にある。
いくらか篁の心は穏やかになり、知らず浮かんだ笑みは晴れやかだった。
■END
ごめんなさい。恐ろしく久しぶりで、本当に申し訳ありません。
一ヶ月くらいblogの更新すらままならないとは…すみません。
なのに拍手してくださる方、訪問してくださる方、どうもありがとうございます。
ひさーしぶりの拙作が『滝咲じゃないってどーゆーこと!?』という声が聴こえてきそうです…。
申し訳ない。でも書きたかったんです…、エデンの世界そのものも好きなもので、何卒ご容赦ください。
時間がなくて上手いこと表現したいことをしきれなかった気もしますし、解説もままなりませんが、私の脳内Afterでいろいろ繋がってる(ように書いていければいいな、いろいろと…!)ので、書いてる私は楽しかったです。
あまり浮上できない状態が続いて申し訳ないですが、よかったら、また、覗いてみてください。
お付き合いしてくださり、どうもありがとうございました!